[訃報]「父」と「母」は死にました。もはや敬語は廃止すべき!

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チチハハ死んだ
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お父さんお母さんが勝利

「父」と「母」は死にました。

と言っても私の父母のことではありません。

チチハハという言葉のことです。

随分前から、若者たちが自分の両親のことを外部の人に対して「お父さん」「お母さん」と言うのが気になっていましたが、今や当たり前。

チチハハは死語になりました。

大学生の息子にも小さな頃からチチハハと言うようにかなり意識的に教育ましたが、結局チチハハという表現を嫌い、使いません。

周りに誰も使う人(友人)がいないからです。

言葉は時代とともに変化します。

その変化はやむを得ないことで、止めようと思ってもその流れは変えられません。

敬語や謙譲語は上下内外で形成される

お辞儀
日本では言葉だけでなく、失礼にならないよう配慮することに膨大なエネルギーが使われています。

日本語の敬語や謙譲語は、内と外、上と下、で作られています。

これが分からないと敬語や謙譲語は使えません。

親は家族という内部なので、外の人にはチチハハと表現します。

父親が外出していることを外部の人に伝える時、

「父は外出しております」

と言います。

本来は父親は目上なので内部的には敬語を使うべきですが、外の人には謙(へりくだ)りますから、このような表現になります。

父を社長に置き換えましょう。

「社長は外出しております」

ですね。

ところが、

「社長さんは外出しておられます」

という表現をする社員がいたりします。

会社という内部では敬語を使いますが、外部の人には謙る必要がありますから間違いですね。

こうして日本語は内外と上下の関係で表現が変化しますから厄介です。

「差し上げます」が失礼ってどういうこと?

「差し上げます」や「申し上げます」も、「差す」や「申す」は、謙譲語で、「上げる」は、敬意をあらわす補助動詞、「ます」は丁寧語ですが、ここでも相手を「上」、自分を「下」と捉えています。

相手に対し自分を「下」と謙(へりくだ)り、相手をリスペクトしているように見せる表現方法です。

ところが、「差し上げます」は謙譲語にもかかわらず、使い方によっては失礼と感じさせてしまうようで、実に厄介です。

NHK放送文化研究所のサイトには、次のようなQ&Aが掲載されています。

Q「執筆料として5万円を差し上げます」という言い方は、おかしいのでしょうか。

A グレーゾーンですが、謝礼などを支払うときにこのような言い方をすると、気分を害する人も少なくないことは知っておいたほうがよいでしょう。

敬語謙譲語廃止論

敬語や謙譲語は、使いこなせれば良いのですが、現代のように乱れて来ると、耳障りで不快感ばかりが残ります。

私はその不快感が嫌なので、いっそのこと敬語を廃止したらどうかと考える敬語廃止論者になりました。

ある意味、敬語使用の混乱は進化の過程だと言えるのではないでしょうか。

若者たちは時代の変化を敏感に感じ取って変化させているのかもしれません。

なぜなら、先ほど述べた内外や上下が崩壊して来ているからです。

昔は閉鎖的な村社会でしたから、村人と余所者の区別がつきましたし、上下も判断出来ました。

ところが、現代の流動化した社会では、その区別がつきにくくなっています。

それに、目上の者を尊敬する(あるいは、すべき)という考えがほとんど消失しています。

若者たちは、親や教師や上司を尊敬しなくなっているのです。

なのに敬語を使わねばならないというのは、おかしな話です。

英語は世界一民主的な言語?

私が若い頃、アメリカ人女性から、日本ではなぜ年齢が上というだけで尊敬するのか理解できません、と言われたことがあります。

年下でも尊敬出来る人はいます、と言うのです。

確かにそうですよね。

であるならば年下にも敬語を使うべきですよね。

でも日本語はそのように出来ていません。

英語は世界一民主的な言語だと言われます。

日本語とは対極にあります。

英語では対等な関係が築きやすいのですが、日本語では常に上下関係、内外が付き纏(まと)い、対等な関係を作るのは困難です。

高校や大学の先輩や教師は、死ぬまで「上」に存在し続けます。

「タメ口」大いに結構

日本語には「タメ口」というのがありますが、「上」の者に使ってはいけない言葉です。

しかし、英語は「タメ口」しかない言語と考えれば、日本語も皆がタメ口を使うようになれば、対等な関係を結びやすくなると私は考えます。

若者からタメ口された「あらかん世代」は、やはり怒るか気分を害する人が多いでしょう。

なので、敬語廃止は困難を伴うと思いますが、廃止してしまえば気分を害することもなくなると思うのです。

今は言葉が急激に変化する過渡期だから、腹が立つわけで、敬語が存在しなくなれば怒りも何もないわけです。

中元歳暮の習慣も敬語も廃止すべき

中元や歳暮の届け物なども元来は相手宅に持って行って、挨拶して渡すものでした。

しかも、相手が何度も受け取るのを遠慮し(拒み)、渡す側はそれに負けることなく受け取ってもらうよう促し、最終的には無事相手側に渡るというプロセスを踏んでいましたが、今やそんなことをする人はほとんどいないでしょう。

それと同じで、敬語や謙譲語も崩壊して行くのではないかと思います。

中元歳暮の習慣も省略され廃れつつあるとはいえ、まだ残っているように、敬語や謙譲語もそれと似た状況になりつつあります。

しかし、私は考えに考えた結果、次の結論に至りました。

中元歳暮の習慣(そう、年賀状も)、敬語や謙譲語の使用も、ただ廃れるのを待つのではなく、「廃止すべきだ」と。

因みに、次に1万円札の肖像となる澁澤栄一氏は、歳暮などの贈り物は「賄賂性」が強いとして嫌ったと言います。

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