「危険極まる」のか「危険極まりない」のか、どっちだって思ったことない?
「失礼極まる」「危険極まる」「滑稽極まる」などと言おうとして、
ふと「失礼極まりない」「危険極まりない」「滑稽極まりない」ではないか?
と思ったことはありませんか?(あるいは逆に極まりないと言おうとして極まるだったかなとか…)
言葉というものは普段何気なく使っており、考えると分からなくなったりします。
「極まる」と「極まりない」どちらが正しいのでしょうか?
「極まる」のか?「極まりない」のか?
私が思わず表現に詰まる言葉に、「極まる」がある。
というのは、一瞬「極まりない」ではないのかと考えてしまうからだ。
たとえば、「失礼極まりない」のか「失礼極まる」のか一瞬表現に迷いが生じてしまうことがあるのだ。
「失礼極まりない」を無意識に使って来たのだが、ある時、ふと「極りない」では逆の意味になってしまう?という思いに取り憑かれてしまい、一瞬頭が混乱したのだった。
が、落ち着いて意味と文法を考えて見れば、答えは自ずと分かる。
辞書で意味を調べると
まず意味を辞書で調べてみよう。三省堂大辞林によれば「極まる」とは、
極まる・窮まる
( 動ラ五[四] )
① 極限に達する。限度に行きつく。 「感-・って泣き出す」 「楽しみはここに-・る」 「山道の-・った所」 「 - ・りて貴きものは酒にし有るらし/万葉集 342」
② 形容動詞の語幹に付いて、この上なく…である、きわめて…であるなどの意を表す。 「滑稽(こつけい)-・る話だ」 「平凡-・る内容」
③ (「谷まる」とも書く)行き詰まって困りはてる。 《窮》 「進退ここに-・る」
④ 終わる。尽きる。 「兵(つわもの)尽き、矢-・りて/徒然 80」
⑤ 結論が出る。決まる。 〔「きわめる」に対する自動詞〕
[表記] きわまる(極・窮)
「極まる」は“極限に達する。限度に行きつく”の意。「感極まって泣き出す」「滑稽(こつけい)極まる話だ」 「窮まる」は“行きづまって進めなくなる”の意。「谷まる」とも書く。「進退ここに窮まる」
では、「極りない」とは?
極まりない
( 形 ) [文] ク きはまりな・し
〔「きわまり」に形容詞をつくる接尾語「ない」の付いた形〕
この上ない。はなはだしい。 「危険-・い」 「失礼-・い」
これで分かるのは、極まるは動詞であり、極りないは形容詞だということだ。
また、「極まる」は五段動詞(ウ動詞)だから「極まる」の否定形は、極りないではなく「極まらない」だということだ。
[box03 title=”
極まるの五段活用
“]
極まら・ない
極まり・ます
際まる
極まる・とき
極まれ・ば
極まれ
極まろ・う
[/box03]
意味は同じか?異なるのか?
極りないに一瞬疑問が湧いたのは、動詞と混同したからだった。
「失礼極まる」と言えば、極限に達した究極の失礼ということ。
「失礼極まりない」と言えば、極まりない失礼、無限大の失礼ということ。
つまり意味はほぼ同じだ。
どちらかといえば「極まりない」のほうが果てしない無限だから語感的には強い印象だ。
使い方の例としては次のようなものが挙げられる。
- 失礼極まりない
- 無礼極まりない
- 危険極まりない
- 単調極まりない
- 退屈極まりない
- 難解極まりない
- 滑稽極まりない
まとめ
どちらが正しいのかと問われれば、どちらも正しい。
「極まる」は「極限に達する」という意味。ラ行五段活用の動詞だから、否定形は「極まらない」であり「極まりない」ではない。
「極まりない」は、「極まり」に接尾語「ない」の付いた形容詞で、「この上ない」という意味。
極限に達するという「極まる」と、「この上ない」という意味の「極まりない」は、どちらも意味的には近く、ほぼ同じと言って良い。
ただ、極限である「極まる」と極限を超えた「極まりない」では、後者つあり「極まりない」のほうがより強調された表現といえる。