2024年度から1万円札の肖像が渋沢栄一に変わる
1万円札の肖像が、実業家、渋沢栄一に変わることになった。
肖像画の変更は2004年以来だ。
渋沢栄一は筆者が尊敬する人の一人。
私の記憶が正しければ、中元や歳暮の贈り物さえ「賄賂」であるとして認めなかった清廉潔白、至誠の人物だ。
韓国は早速、例によって猛反発しているようだが、偉大な渋沢栄一を貶める一方、朝鮮併合に反対していた伊藤博文を暗殺したテロリストを英雄視し讃えるお国柄だから、聞く耳を持つ必要はない。
渋沢栄一は、
第一国立銀行(現・みずほ銀行)
抄紙会社(現・王子製紙)
大阪紡績(現・東洋紡績)
東京瓦斯(現・東京ガス)
東京海上保険会社(現・東京海上日動)
東京証券取引所
を初め、500ものの企業を設立、経営した大実業家である。
だがそれ以上に、彼の功績が偉大なのは、社会福祉事業の先駆となった養育院(現・東京都健康長寿医療センター)の初代院長を務めたり、日本赤十字社の設立などにも関わるなど、社会事業を盛んに行ったことだ。
社会事業は、実業界を退いた後も、亡くなる前まで尽力した。
映画『翔んで埼玉』が大ヒットし、埼玉人気が急上昇中だが、渋沢栄一が現在の埼玉県深谷市(現在人口約14万2千人)出身ということで、さらに埼玉が熱くなる!?
Short Biography
渋沢栄一は1840(天保11)年2月13日、現在の埼玉県深谷市血洗島の農家に生まれました。
家業の畑作、藍玉の製造・販売、養蚕を手伝う一方、幼い頃から父に学問 の手解きを受け、従兄弟の尾高惇忠から本格的に「論語」などを学びます。
「尊王攘夷」思想の影響を受けた栄一や従兄たちは、高崎城乗っ取りの計画を立てましたが中止し、京都へ向かいます。
郷里を離れた栄一は一橋慶喜に仕えることになり、一橋家の家政の改善などに実力を発揮し、次第に認められていきます。
栄一は27歳の時、15代将軍となった徳川慶喜の実弟・後の水戸藩主、徳川昭武に随行しパリの万国博覧会を見学するほか欧州諸国の実情を見聞し、先進諸国の社会の内情に広く通ずることができました。
明治維新となり欧州から帰国した栄一は、「商法会所」を静岡に設立、その後明治政府に招かれ大蔵省の一員として新しい国づくりに深く関わります。
1873(明治6)年に大蔵省を辞した後、栄一は一民間経済人として活動しました。そのスタートは「第一国立銀行」の総監役(後に頭取)でした。
栄一は第一国立銀行を拠点に、株式会社組織による企業の創設 ・育成に力を入れ、また、「道徳経済合一説」を説き続け、生涯に約500もの企業に関わったといわれています。
栄一は、約600の教育機関 ・社会公共事業の支援並びに民間外交に尽力し、多くの人々に惜しまれながら1931(昭和6)年11月11日、91歳の生涯を閉じました。ーー渋沢栄一記念財団
渋沢 栄一(しぶさわ えいいち、天保11年2月13日(1840年3月16日) – 昭和6年(1931年)11月11日)は江戸時代の武士、官僚、実業家。第一国立銀行や東京証券取引所、一橋大学、東京経済大学などといった多種多様な企業、学校の設立・経営に関わり、「日本資本主義の父」ともいわれる。武蔵国榛沢郡血洗島村(現埼玉県深谷市血洗島)出身。
2019年4月、今後刷新される予定の一万円紙幣に肖像画が採用される予定である事が報じられた。
正二位勲一等子爵。雅号は青淵(せいえん)。ーーWikipedia
2024年度上期に発行予定の新紙幣
10000円札:実業家・社会事業家、渋沢栄一 (←福沢諭吉) ウラ側:東京駅舎
5000円札:津田塾大学の創始者、津田梅子 (←樋口一葉) ウラ側:藤の花
1000円札:「近代日本医学の父」として知られ、ペスト菌を発見するなど医学の発展に貢献した北里柴三郎 (←野口英世) ウラ側:葛飾北斎の富嶽三十六景(神奈川沖浪裏)
紙幣画像:財務省[/caption]
1万円札の肖像は1984年に聖徳太子から福沢諭吉になって以来の変更となる。
5000円札の肖像は2004年に新渡戸稲造から日本で戦後初めて女性の樋口一葉になり、1000円札の肖像は同年に夏目漱石から野口英世に変わっていた。
何人かの候補リストから、麻生太郎副総理兼財務相が選んで決定したという。
20年ごとに変更される慣例になっているようだが、キャッシュレス化が進む今、20年後にまだ紙幣は存続しているのだろうか。
もしかすると、今回の新紙幣は最後の紙幣になるかもしれない。
新500円硬貨
なお、政府は4月9日、新しい500円硬貨を2021年度上期をめどに発行すると発表。新技術として2色3層構造を採用するなど、さまざまな偽造防止対策を施す。500円硬貨の刷新は2000年に登場した現行硬貨以来。